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東京地方裁判所 昭和50年(行ウ)22号 判決 1977年3月14日

東京都練馬区関町四丁目甲六二一番地

原告

綿屋要吉

右訴訟代理人弁護士

堤重信

程島利通

東京都練馬区栄町二三番地

被告

練馬税務署長 篠原章

右指定代理人

伴義聖

右指定代理人

比嘉毅

石井寛忠

磯部喜久男

右当事者間の標記事件について当裁判所は次のとおり判決する

主文

一  原告の請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一当事者双方の申立

(原告)

一  被告が原告に対し昭和四四年分および昭和四六年分所得税について昭和四八年三月二日付をもつてなした重加算税賦課決定を取消す。

二  訴訟費用は被告の負担とする。

(被告)

主文同旨

第二当事者の主張

(原告の請求原因)

一  原告は、昭和四四年、昭和四六年分の各所得税につき、原告の当時の住所地(静岡県伊東市桜ケ丘二丁目五番二二号)を管轄する熱海税務署長に対し次表のとおり確定申告書(昭和四四年分については確定申告書および修正申告書)を提出したところ、更正および重加算税賦課決定をうけたので、これに対しいずれも次表のとおりの経過で不服申立手続を経由した。

(昭和四四年分)

<省略>

(昭和四六年分)

<省略>

二 しかし、原告の提出した前記確定申告書には各係争年分の所得金額等の計算の基礎となるべき事実を隠ぺいし、または仮装した事実は存在しないから、被告のなした前記各重加算税賦課決定(以下、「本件各決定」という。)は違法である。

よつて、本件各決定の取消を求める。

(被告の答弁および主張)

一  被告の答弁

1 原告の請求原因一は認める。

2 同二は争う。

二  被告の主張

〔本件各決定の根拠〕

原告は、昭和四四年分および昭和四六年分ともに、有価証券の売買を架空名義である上田武雄名義を使用して行ない、しかも、その所得が、課税の対象となることを知つていたにもかかわらず、その所得を除外して確定申告書を提出した。

右行為は、国税通則法六八条一項に規定する国税の課税標準等または、税額等の計算の基礎となるべき事実を隠ぺいし、または仮装し、その隠ぺいし、または仮装したところにもとづき納税申告書を提出した行為に該当するから、右両年分とも各々重加算税を賦課決定したものである。

そして、本件の重加算税の額は、両年とも、更正による増加税額の全額に、国税通則法六八条一項の重加算税の割合三〇%を乗じた額であり、昭和四四年分は、一二、二九四、〇〇〇円(更正により増加した税額四〇、九八〇、〇〇〇円×三〇%=一二、二九四、〇〇〇円)であり、昭和四六年分は、九七一、四〇〇円(更正により増加した税額三、二三八、〇〇〇円×三〇%=九七一、四〇〇円)である。

〔本件各決定に至る経緯〕

1 熱海税務署長は、原告の提出した確定申告書における各係争年分の申告所得税額に不明な点を発見したので調査を行なつたところ、調査終了直前の昭和四七年九月原告は肩書住所に転居したため、関係書類は右住所地を管轄する被告に引継がれ、被告において再検討、調査したうえ更正ならびに本件各決定を行なつたものである。

2 ところで、熱海税務署所属の井原調査官らは、昭和四七年七月二〇日調査に着手し、原告の前住所地である前記伊東市桜ケ丘の居宅に臨場したところ、原告宅は空家同然となつており、近くの人に尋ねたところ、原告は長男綿屋謙一宅(静岡県伊東市桜木町二ノ五ノ四旅館「右近」)に居住していることを聴きとめたので同人宅に臨場した。

そこには、謙一の所得調査とあわせて原告の調査を同時に行なうために後藤事務官らが既に臨場しており、同事務官らは、原告から、調査の目的等を尋ねられていて、調査は進展していなかつた。そこで、井原調査官は、原告の調査目的等を原告に説明し、二階の原告の居間で、原告の調査を行い、また、後藤事務官らは、一階で謙一の調査を行なつた。

3 この調査の際に上田武雄および山本一郎名義の証券預り証と、上田、山本、北浦、富永および須藤の各印鑑を原告が所持していることが判明したので、これら各印鑑等の使途について説明を求めたところ、原告は、「富永および須藤の印鑑は、友人の財産を管理したとき使用したものであり、上田の印鑑は、大和証券本店で、山本の印鑑は、東光証券伊東支店で、また、北浦の印鑑は、大和証券札幌支店で、それぞれ仮名取引に使用したものである」旨説明した(なお、本件係争年分の所得に関連があるのは上田の印鑑についてである。)。

4 井原調査官らは、証券預り証の内容から、原告は、相当数の株の売買を行なつているものと判断し、原告に、株売買の状況について質問したところ、「売買は、月に六〇万株程度行なつている。」旨の答弁があり、株の売買による所得を、申告しなければならない場合のあることを知つているか否か質問したところ、「年に五〇回以上、二〇万株以上の売買をした場合、申告しなければならないことは知つている。」旨の答弁があつた。そして申告しなかつた理由については、「通算で損失であることおよび信用取引で売買の未清算のまま年末に売れ残つた株の評価方法がわからなかつたので、申告しなかつた。」旨答弁した。

5 しかるに、原告は、有価証券売買による所得については、全く申告していなかつたし、記帳等の記録もなかつたので、調査により判明した大和証券本店の原告名義および上田武雄名義の顧客勘定元帳等により、各年分の所得金額等を次表のとおり算出した。

(昭和四四年分)

<省略>

(△は損失)

(昭和四六年分)

<省略>

6 被告は、これらの調査の結果にもとづき、更正および本件各決定をしたものである。なお、申告と更正との所得の種類別対比は次のとおりである。

(昭和四四年分)

<省略>

(昭和四六年分)

<省略>

(被告の主張に対する原告の認否および反論)

一  認否

〔本件各決定の根拠〕について争う。

〔本件各決定に至る経緯〕について

1 1のうち、原告が肩書住所に転居したこと、更正および本件各決定がなされたことは認めるが、その余は不知。

2 同2のうち、原告が長男謙一と同居していたころ、熱海税務署職員が謙一方に来て、税務調査をしたことは認める。その余は不知。

3 同3、4のうち、原告が前記調査に際し税務職員に対し、株式取引は原告名義以外に上田武雄名義を使用したことを申述したことはあるが、その余は争う。

4 同5、6は認める。

二  反論

1 原告は、昭和二七、八年ころからいわゆる資産株(現物株)を取得するようになり、当時在住していた札幌市内の大和証券札幌支店に保護預りを依頼していたが、昭和三八年以後静岡県伊東市に転居したことから、同証券会社の職員が原告に対ししきりに株式の信用取引を勧誘するようになり、原告はこれに応諾しないまゝ推移していたところ、昭和四一年ころ、札幌在住当時から面識のあつた同会社本店営業部の遠藤朋一から二度にわたり信用取引の勧誘をうけたので、原告としては昭和四〇年ころ有価証券の保護預りを同社札幌支店から本店営業部に移していたことでもあり、生活費だけでも得られればという考えからこれに応ずることにした。

2 ところで、原告は株式の信用取引をするようになつて、リコー、三菱化工その他二銘柄について買建をしていたところ、大和証券本店の前記遠藤から、右銘柄は売つた方がよいとの調査部長の予想であるが売つてはどうかとの連絡をうけたので、右勧奨にしたがい、これらの株式を売ることにした。しかるに、予想に反して、右株式は一向に下落の気配はなく、却つて株価は上昇し、このまま放置すれば日々損失が累積することになるので、原告は遠藤に両建してほしい旨申し入れた。

すなわち、右のように、値下りを予想した株が売つたのちに株価が継続して上昇すれば、ある時点で同一人名義で一方に買いを建ててあれば、その後の株価の上昇分については損害を免れるし、適当な時期に一方を外すことにより、従前の損失分も取り戻せることになるからである。

遠藤は、原告の右依頼に対し、以前には両建方式による取引はあつたが、現在はコンピューターにより取引を処理する関係上、同一人の名義では処理ができないので、仮名の名義を使用して取引してはどうかとすすめるので、原告は両建の目的を達しうる方法を同人に一任した。

右の次第で、上田武雄という仮名名義は両建取引をする必要上右遠藤が考案したものであり、その印鑑も同人が作つてくれたものである。したがつて、原告が右仮名名義を使用するについては所得の計算の基礎となるべき事実を隠ぺいし、または仮装する目的は全くなかつたものである。

3 原告は、株式の売買による利得が課税対象になることは考えておらず、また申告の必要がないと確信していたものである。

すなわち、

(一) 原告は、昭和三八年伊東市に転居して以来、熱海税務署に株式等の配当所得の確定申告をしていたところ、申告にさきだち、毎年同署が実施する税務相談に際して、原告は、その都度同署の担当職員から株式の売買による所得については申告する必要はないとの説明をうけていた。

(二) 原告は、大和証券本店の遠藤からも株式の売買による所得が所得税の対象になるということについては一度も説明をうけたことはない。そうであるからこそ、原告が本件更正処分をうけたとき、遠藤に対して、何故事前に説明してくれなかつたと問詰したところ、遠藤は、当時証券は、山一証券が倒産寸前に立至つたほどの深刻な不況下にあり、顧客に税金のことを説明すれば、取引が減少するおそれがあるので、説明しなかつたと述べているくらいである。

(三) 原告は、昭和四六年分の確定申告を税理士に依頼すべく、昭和四七年二月ころ、遠縁にあたる林泰造に対し、税理士に所得申告の資料を持参するよう頼んだところ、その際も林から株の売買による所得には税金はかからない旨説明を受けたので、原告は非課税についての確信をいつそう深めるに至つたものである。

(原告の反論に対する被告の再反論)

一  原告は、有価証券取引において架空名義を使用したのは両建取引のためであると主張する。

しかしながら、証券取引業界においては両建取引を行なうこと自体なんらの価値もないといかれているだけでなく、なお次のとおり原告の右主張は失当である。

1 原告の主張するように、架空名義の取引口座が信用取引の両建のために設定されたものであるならば、当然のことながら、原告の実名による信用取引開始後に設定されていなければならない。しかるに、原告が信用取引を開始する際に証券会社に提出した信用取引口座設定約諾書によれば、仮名である上田武雄名義分は、昭和四二年二月二一日に、実名名義分は八か月後の同年一一月一日に提出されており、明らかに原告の主張と矛盾している。しかも、上田武雄名義の取引内容を記載した顧客勘定によれば、取引開始は昭和四一年一二月三日であり、その取引は現物取引から始つているが、この点も原告の主張と背反する。

2 本件各係争年分の有価証券の取引回数は、昭和四四年分三五六回、昭和五六年分八五回であるが、このうち、実名による取引回数は昭和四四年分一九回であり、昭和四六年分については取引なしである。しかも、原告は自らすすんで実名名義の株券を引き出して仮名の口座に預け替えし、代用証券として仮名取引の担保にさえしている。

このように、原告の実名による取引回数が五〇回以下であり、しかも、徐々に積極的に右取引回数を減らすようにすらしていることからすると、原告は実名による取引を非課税となるように意図し(所得税法施行令二六条参照)、実名での取引を徐々に終息させて仮名の取引によつて税の逋脱をはかつたものであることが推認される。

二  原告は、株式の売買が一定の数量を超えたときは、課税の対象となることは知らなかつたと主張する。

原告は長年金融業を営んでいた者であり、しかも関与税理士がおりながらこのような主張をすること自体不自然であるが、なお以下の事情からしても原告の右主張は失当である。

1 原告が仮名である上田武雄名義によりなした信用取引に関し、大和証券本店から原告宛に送付される通信は、市販の白封筒が使用されており、しかも同店の従業員である遠藤朋一の私信として送られている。そして、上田武雄名義の取引口座設定の申込書には「白封筒」と表示されていること等からすれば、明らかに右仮名による信用取引が税務調査で発覚しないよう隠ぺいを意図したものというべきである。

2 原告は本件に直接関連する上田武雄名義以外にも、大和証券札幌支店においては、北浦政治名義を、東光証券伊東支店においては、山本一郎名義を取引に使用したことがある。

3 原告は、自己の取引に上田武雄名義を使用したことを税務調査の際熱海税務署の係官に自主的に申述したと主張するが、そうだとすれば係官は原告と一緒に隣室に行き印鑑の保管場所を確認する必要はない。井原係官は上田名義の印鑑および証券預り証の存在を原告の挙動から発見するに至つたので原告を追及したところ、原告は、右印鑑については自己の取引のために使用した旨および有価証券の売買が課税される要件は知つている旨申述するに至つたものである。

4 原告は、株式の売買による所得は申告不要である旨、熱海税務署の職員が答えたと主張する。しかしながら、原告は札幌在住当時から株式の売買をしていたのであり、原告が供応につとめていた証券会社の担当者と一度も話したことがなく、また申告不用であると信じていたとはおよそ考えられないことである。そして税務署の職員に取引回数、金額等の事実を話さずに、原告主張のような答えを税務署の職員から引き出したと原告はいうのであるが、税務署の職員の名前すら明らかでなく、さらに税の専門家がかようなことをしかも同じ問答を二、三年くりかえすなどということはおよそありえないことである。

第三証拠関係

(原告)

一  証人遠藤朋一、井原博、林泰造の各証言、原告本人尋問の結果を援用。

二  乙号各証の成立はすべて認める。

(被告)

一 乙第一ないし第四号証、第五号証の一ないし三、第六、七号証、第八号証の一、二を提出。

二 証人井原博の証言を援用。

理由

一  請求原因一および被告の主張〔本件各決定に至る経緯〕5、6の各事実は当事者間に争いがない。

そこで、原告が本件各係争年分の確定申告書において証券(株式)売買による雑所得を加えなかつたのが、故意に右所得を隠ぺいし、または仮装したことによるものであるかどうかについて判断する。

二  前記争いのない事実、成立に争いのない乙第一ないし第四号証、第六、七号証ならびに証人井原博の証言によると次の事実を認めることができる。

熱海税務署の職員井原博は、原告の提出にかかる本件各係争年分の確定申告書記載の内容を検討したところ、配当所得が相当多額であつたのでその元本についての資金的裏付け、ならびに他に貸金利息による雑所得の有無を明確に把握する目的をもつて、他の職員とともに昭和四七年七月二〇日原告の当時の居所である静岡県伊東市桜木町二丁目五番四号綿屋謙一(原告の長男)方に原告を訪ね、調査をした。そして、井原らは、同所二階の原告の居室において、上田武雄および山本一郎名義の証券預り証(総数約一〇万株以上)ならびに上田、山本、北浦、富永、須藤の各印鑑を原告が所持していることをつきとめたので、原告が相当数の株式売買を行なつているものと判断し、原告に対して証券売買による所得の申告がなされなかつた理由につき質問したところ、原告は、年末におけるいわゆる取引き(株式の信用取引において買付けた株式を決済日に引取ること)の株式の評価方法がわからないので確定的な所得金額が算出できず、そのために申告しなかつたと答え、さらに、その際、株式の売買については、年間五〇回、二〇万株を超える取引により取得した売買利益については、申告すべき義務のあることは承知していたと附加陳述した。そこで、同職員らは、その後、原告の取引先である大和証券本店営業部に照会し、原告にかかる顧客勘定元帳、保証金預り証等の資料を取寄せ、検討したところ、原告は本件各係争年分につき被告の主張〔本件各決定に至る経緯〕5のとおりの取引名義、取引回数、取引株数により、その主張のとおりの売買による利益を取得していることが判明するに至つた。

証人遠藤朋一、林泰三の各証言、原告本人尋問の結果中、右認定に反する部分は後記三において説示するする理由により措信しない。以上の認定事実によれば、原告が本件各係争年分において、原告名義のみならず架空名義により継続的に株式の売買を行なつていたこと、そして、右売買取引の回数、売買した株数が所得税法九条一一号、イ、同法施行令二六条一、二項所定の要件に当り、右取引による所得が課税されるぺきものであること、原告において右取引が課税されることを認識していたことは明らかというぺきである。

三  原告は、株式の売買による利得が課税対象となることは知らなかつた旨種々主張するけれども、前示認定のとおりであるのみならず、右各主張は以下の理由によつても採用することができない。

1  原告本人尋問の結果によると、原告は、札幌市在住当時である昭和二五年ころから株式の売買を行なつており、昭和二七年ころからは金融業をも営み、昭和四四年分の確定申告においては以前に貸付けた金員の利息として受領した五、〇〇〇、〇〇〇円を計上するほどであつたことが認められるから、原告は、証券、金融に関してはかなりの経験を有するものと推認することができ、さらに、有価証券の(非継続的な)譲渡による所得が非課税とされたのが昭和二八年以後であることにかんがみると、原告が、本件のように多数の株式を多数回にわたり売買しながら、なおかつ右取引による所得に対して課税されることを知らなかつたというようなことはそれ自体不合理というべきである。

2  原告は、熱海税務署に確定申告をなすにあたり、昭和三九年以来同署の税務相談担当の職員から毎年のように株式の売買による所得は非課税である旨説明をうけていたと主張し、原告本人は右主張にそう供述をしている。

しかし、およそ、個人の所得に対してはその所得源泉が何であれ、原則として課税されるというのが所得税法の建前であるから、税務署の職員が、原告のなした株式売買の株式数・取引回数を具体的になんら確めもしないで漫然と株式の売買による所得が非課税であると説明したとは考えられないことからすれば、原告の右供述もたやすく措信しがたいのである。

3  原告は、昭和四六年分の確定申告を税理士に依頼するにあたり、右依頼を仲介した林泰造より株式の売買による所得は非課税である旨説明をうけたので、原告は非課税についての確信をいつそう深めたと主張するが、証人林泰造の証言によれば、林は株式の信用取引の実態についてはもとより、所得税法について格別知識を有する者でもないことが窺われるから、原告の右主張は採りあげるに値しないし、同様に大和証券の職員が原告に対し、株式売買による課税についてなんらの説明もしなかつたとの点も、原告が尋ねなければ答えないまでのことであるから、そのこと自体原告の主張を支持すべき事情として特段考慮に値するものとはいえない。

四  そして、以下の事情によれば、原告は架空名義による取引を意図的に推進していたとしか考えられず、その主張するように両建取引のためやむをえず架空名義を設定したものとは認められないのである。

1  成立に争いのない乙第三、四号証によると、原告は自己の実名名義による信用取引口座を設定した昭和四二年一一月一日よりもすでに八か月前の同年二月二一日に仮名である上田武雄名義の信用取引口座を設定していたことが認められるばかりでなく、成立に争いのない乙第二号証、証人遠藤朋一の証言によれば、原告は、昭和四一年一二月三日大和証券本店において株式売買を始めるにあたり、架空名義(上田武雄)により、しかも現物取引によりこれを始めていることが認められるところ、右認定事実からすれば、架空名義の設定がいわゆる両建取引のためやむをえず行なわれたものであるとの原告の主張は自家撞着も甚しいといわざるをえない。

2  原告の上田武雄の架空名義による株式の取引回数は昭和四四年分が三三七回、昭和四六年分が八五回であるのに対し、原告本人の実名名義による取引回数が昭和四四年分一九回、昭和四六年分は一回もなかつたことは原告も争わないところであるが、このような架空名義による取引回数が実名名義による取引回数と比べて圧倒的に偏していることは、原告の主張する両建取引を目的としたことによるものとは到底いえないほどの不合理なものであつて、それだけでなく、成立に争いのない乙第六、七号証および原告本人尋問の結果によれば、原告は昭和四六年八月ころ実名名義による株券を相当数上田武雄名義の保護預り口座に移転し右架空名義による信用取引のための保証金代用証券として預託していたことが認められるところ、右認定事実によれば、原告は実名名義によるよりも、もつぱら架空名義により株式の売買を行なうことを企図し、かつ、そのように実行していたとしか考えられないのである。そして、このことは、すでにみたとおり、昭和四六年分において原告本人名義による取引回数が一回もないこと、昭和四四年分において本人名義による取引回数が僅か一九回であつて、所得税法施行令二六条所定の課税の対象となるべき株式取引回数の五〇回をかなり下回ることからみても否定できないものと思われる。

3  すでに認定した事実によれば、原告は熱海税務署の職員による調査をうけた際、本件係争年分の確定申告書に株式売買による所得を計上しなかつたのは、いわゆる現引きの株式の評価方法がわからないので確定的な所得金額が算出できなかつたからであると答えているのであるが、現引きの株式の評価は、当該株式を買付けた時点での買値ですればよいことは、およそ株式の売買をしている者であれば常識に属することであり、格別専門家の意見を聴くほどの事柄でもないこと(仮りに原告が偶々そのことを知らなかつたとすれば、証券会社または税務署の職員に尋ねれば容易に判明することである。)からすれば、原告の右弁解は不当というべきのみならず、上述の諸理由と相まつて考察すると、原告は、本件係争年分における株式売買による所得を当初から申告する意思を全く有していなかつたものと推認せざるをえないのである。

五  以上二ないし四に挙示した理由を総合すると、原告は本件各係争年分において、故意にいずれも上田武雄なる架空名義により株式の売買を行なつたうえ、右売買による所得を隠ぺいまたは仮装し、その隠ぺいまたは仮装したところにもとづき各年分の確定申告書を提出したものと認めることができる。

そして、両係争年分における更正による増加税額については原告もこれを争わないから、被告が右税額を基礎として国税通則法六八条一項所定の割合を乗じて計算し、各年分につき右相当金額の重加算税を課した本件各決定にはなんらの瑕疵もないというべきである。

六  以上の次第で原告の本訴請求はいずれも理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民訴法八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 内藤正久 裁判官 山下薫 裁判官 三輪和雄)

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